アガパンサス


6月28日花の小公園。

昨日は一日雨音を聞きながら過ごし、運動はお休み。一昨日のスイム&ランの疲労がいつもより残っていたかもしれない。将棋の時間をリアルタイムに見るのは久しぶりだったが、形勢逆転で決着する面白い将棋だった。

「日本の古墳・古代遺跡」
旧石器時代、日本列島では4万年くらいまで遡る。後期旧石器時代にあたる。全国の遺跡の数は5000箇所。一時期、前期・中期の旧石器時代の遺跡とされたものは捏造であった。
縄文時代は土器を使用し農耕・牧畜を始めた新石器時代にあたる。1万3000年前に始まり1万年近く続いた。旧石器時代から縄文時代を通じて人種的には均一。身長は低いが手足が長く四肢の筋肉付着部が発達している。。咀嚼筋が発達し四角く立体的、二重まぶたではっきりした顔立ち。暖温帯地域の採集狩猟生活に適応した後、列島に渡り、本来の特徴を保ちながらやや現代化した。
弥生時代は北九州で紀元前1000年前近くまで遡るのが最近の学説。従来の遺跡の年代観は見直されつつある。紀元前後の弥生中期から従来の年代観と一致する。渡来系弥生人はシベリヤで寒さに適応してから列島に渡ってきた。身長は高いが四肢は短い胴長短足。顔は長円で平坦、一重まぶたでのっぺりしていた。
縄文と弥生の土器も連続している説もある。コメが縄文時代後期紀元前2000年には存在したことが確実になっている。水田稲作も紀元前1000年まで遡る。縄文遺跡と弥生遺跡は数100年間に亘り同時代のものだったことになる。この間の社会の変化は従来考えられてきたほど早くはなかった。
鉄器が本格的に入ってくるのは紀元前300年代半ば。このころから社会の変化のスピードの加速度が増す。

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スイム


6月28日池田山公園。

朝から雨。雨音を聞きながら寝坊してしまう。
昨日は夕方ジムへ。走ってから泳ぐ予定がジムに行くだけで大汗。なので、まずはスイム。16時過ぎ気温が少し下がってからスタート。
皇居2周目の和気清麻呂公園で走友会の仲間に出会う。仕事帰り。この夏は忙しくてストレスが溜まって、走らずにいられなかったとのこと。暑さのためか稲荷湯は空いていたらしい。ゆっくりランに付き合ってもらい、久しぶりに話をしながら走る。それでも半蔵門の下りは遅れがちになってしまい、桜田門まで懸命に走った。
なんとか脚がつることもなく無事帰り着いて一安心だが、いつもよりお腹が空いてしまった。

スイム: 2000m。
頭を持ち上げての泳ぎも少し慣れて、力強さが増した気がする。

ラン: 皇居往復、皇居2周21km。
背中側の脇の筋肉で脚を持ち上げるイメージで走る。ピッチを上げられない。

プリンセスミチコ


5月24日ねむの木の庭。

昨日は季節外れの歓送会。
仲間が次はどこで活躍することになるか、楽しみに感ずるようになって久しい。
そう言う受け止め方をするようになっていることに気づく。

ガクアジサイ


6月21日池田山公園。

「図説日本の古墳・古代遺跡」
飛鳥京跡周辺の遺跡空撮マップ。自転車で歩いたことを思い出す。
高松塚古墳、キトラ古墳、大仙古墳、藤ノ木古墳、豊富な写真で解説。藤ノ木古墳は一番最近寄ったところだが、工事中だった。
藤ノ木古墳の出土刀剣の復元写真を見ると驚くほど美しい。

サルビアコクネシア


6月21日花の小公園。

「コメを選んだ日本の歴史」
現在では温帯ジャポニカ種の起源は長江下流河姆渡と考えられている。栽培種と野生種が混じって出土するからである。以前は雲南・アッサムと考えられており照葉樹林文化を育んだ。これはインディカ種の起源かもしれない。熱帯ジャポニカ種は温帯ジャポニカ種に近いがインディカ種との交配かもしれない。縄文のコメはこちらではないか。
温帯ジャポニカを食するのは長江北部、朝鮮半島、日本と極めて限られた地域である。水田稲作にしか適応しないこともあり、コメ文化の中ではマイナーな存在である。
水田稲作によって生産余剰が生じ、集団間の戦争、弥生の戦争の起因となった。また、社会的分業が進み、富の偏在は階級の分化を促し、クニが誕生する。
巻向遺跡が発掘され、ここが邪馬台国であるとの説が主流になった。箸墓古墳は卑弥呼の墓と考える説が多くの支持を集めている。

スイム


モントブレチア、6月21日花の小公園にて。

昨日は午前の会議が長引いて、お昼を食べずに出張。ソイジョイでしのぐ。夕方、東京体育館に寄ってスイム。朝からろくに食べずに良くも泳げると感心。身体の中には貯蔵エネルギーがあふれるほどなことを改めて実感する。朝食を抜くと活動のエネルギーが不足するなどと言うのは、普段何を食べているのだろうか。

スイム: 2000m。
頭を少しあげ生え際で水をきるように意識する。身体の浮きが良い。ブレスの時に肩に頭を持たれかけると伸びが楽になる。

トキワツユクサ


6月21日、花の小公園にて。

「コメを選んだ日本の歴史」
華北のムギ、華南のコメ。前者は羊・山羊・牛・乳とセットの文化を生み、後者は魚醤と豚・鶏がセットの文化を生んだ。
縄文のコメはアカマイなど、陸稲系が主だった可能性が高い。雑穀・芋など畑作が伴っていた。これは柳田が主張した南方「海上の道」を伝ってきたのかもしれない。列島全体に広がったが東北地方と南島に残った。
弥生のコメは水田稲作。これは朝鮮半島を経由し、北九州から入ったと考えるのが妥当である。列島南西部に濃密に分布する。
弥生時代、大量の渡来人が大陸から移住してきた。弥生時代の人口増加率はそれ以前に比べて著しい。渡来系の弥生人は中国東北部付近から来たツングース系の人々と考えられる。それに対し在来系弥生人は縄文人やアイヌ人と同系で中国南部の新石器時代人や盗難アジア人に近い特徴がある。その二つの集団が混血を繰り返し現代日本人となったが、その形質は渡来系弥生人に近いとされる。