キョウガノコ


6月7日池田山公園。

「古墳とヤマト政権」
出現期古墳、箸墓が群を抜いて大きい。それに次ぐ大きさのはやはり狭義の大和の地域にある。次いで、山城と吉備。それよりやや小規模のものが北部九州でも瀬戸内海の豊前にみられる。古墳の出現の前提となった広域の政治連合は大和を中心に形成されたことを物語る。
弥生時代、鉄器が普及し、後期になるとほとんどの地域で石器が消滅する。この間の製鉄遺跡はまだ見つかっていない。いずれも6世紀以降である。鉄器の材料は海外から来たことになる。それは朝鮮南部からだろう。魏志弁辰伝が語るところである。
弥生の鉄器の出土は北九州玄界灘地域に圧倒的に多い。弥生中期までの中国鏡の副葬も同じ地域であり、この時期まで玄界灘地域が優勢であったことが分かる。
古墳時代になると中国鏡の副葬は大和を中心とする分布に一変する。その変わり目は200年代初頭だとする。だとすると、卑弥呼はヤマトにいたことになる。箸墓は卑弥呼の墓の可能性も高いとする。魏志倭人伝の記述の伊都国の南にあるとするのは東の誤り。南のクナ国と言うのは東のクナ国で、それは濃尾平野を中心にした東国の勢力だとする。この時期前方後方墳を作っていた。

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