縄文人は飲んべえだった―ハイテクで探る古代の日本
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朝日新聞

1万年以上も前の話から、日本列島に来た民族のルーツについていろんな説を解説している。遺伝子だの、言語だの、石器だの、といろんな方法で探る。結論が近い方法もあれば反対の結論を出す方法もある。いずれにしても、アジア南方系と言われる旧モンゴロイドと、北方系と言われる新モンゴロイドとがルーツのようだ。
1万3000年くらい前に始まる縄文の人は当初新モンゴロイドだったが、6000年ほど前に旧モンゴロイドが大勢を占めた。それが3000年前、縄文晩期から弥生にかけてまた新モンゴロイドが急増して行く、らしい。いづれも気象変動が民族の移動を促したと言うことのようだ。
縄文時代は東日本のブナ樹林帯に人口が多く、それでも日本全体で30万人くらいと言う。それが縄文晩期に10万人をきることになり、弥生の始まりとともに西日本の照葉樹林帯を中心に人口が急増する。紀元前300年ころから紀元700年ころまでの1000年で500万人もの人口増加だったとのこと。それは、自然増で説明するのは難しく、毎年1000人強の人口流入があったのだろうと言う。
縄文の初めの新モンゴロイドの言葉の文法が現代の日本語の文法のルーツだと言う。そこに6000年ほど前に来た南方系の民族の語彙が混ざった。さらに弥生時代に流入してきた民族の語彙が混ざったのではないかと言う説がある。
実際にはさらに地域ごとにさらに複雑な混血の過程があったのだろう。

アセトアルデヒド分解酵素不活性は新モンゴロイドに発生したと言う。日本人が不活性型が多いのはこの新モンゴロイドの弥生人が多数派だからだ。旧モンゴロイドの縄文人は飲んべえだったと言うタイトルはここから来ている。しかし、縄文人は口噛み酒だったらしい。麹を使った日本酒の製法は弥生時代に渡ってきた。コメ麹を使うこの製法はオリジナルは江南地方にあったが、今では日本独自なものになっている。米を蒸して、稲穂についている麹菌で糖化させる方法は他では見られない。紹興酒などは、米の粉を水で練ってそこにカビを植える方法だ。木灰を加えて雑菌を押さえたり、酸味を押さえたりと日本独自のバイオテクノロジーが開発されていた。

13000年前ころから気候が緩んで海水面が上昇し、日本が大陸から切り離される。8500年前ころに対馬暖流が流れるようになり、日本海側の冬の豪雪が始まった。それまでの大陸の乾燥地帯が、ブナ・ナラの落葉広葉樹林帯に変わった。
土器を使う縄文文化はそこから始まる。土器は日本で発明されたかもしれないのだとのこと。どんぐりの渋抜き、煮炊きに必要だった。滋養豊富なクッキーが発掘されている。ただの狩猟民に比較して人口密度が高かったのだそうだ。

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縄文人は飲んべえだった