天智と持統 (講談社現代新書)
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講談社

天智天皇は武人だったが、持統天皇によって殊更に賞揚され、文武天皇の権威付けのため天帝にも擬せられるイメージが形作られた。
天武天皇は一代限りの天皇を称した。継続する天皇号は持統天皇がその初代である。

韓半島からきた倭国―古代加耶国が建てた九州王朝
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新泉社

記紀は7世紀末の政権に都合が良いように”作実定偽”されて成立し、それまでの書は焼かれてしまった。日本の正しい古代史は日本の文献から知ることはできない。
中国と韓国の史書、金石文が語るのは、7世紀末までは九州に正当な王朝があったことで、紀元前後に成立していたことである。志賀島の金印の倭奴国王も卑弥呼も倭の五王も「日出づる処の天子」も、九州王朝の王であった。

イワシャジン


2010年10月17日箱根湿性花園にて。

岡村道雄「縄文の生活誌」
縄文から弥生への変化は連続的なもの。大量の民族移動で旧民族が駆逐されてしまったと言うようなことはない。

ムスカリ


2009年4月12日二ヶ領用水にて。

関裕二「日本の神々」がわかる!
ジンムテンノウ、神武天皇。ヤマトの初代王に「神」の」名が与えられたのは呪いをかけ、呪われる天皇だったから。鬼のような霊力を持っていたから選ばれた王であり、祭祀を司るための王だった。「天皇に逆らえば恐ろしい目にあう、と言う幻想を生みだした。
アマテルクニテルヒコホアカリクシタマニギハヤヒノミコト。吉備から巻向にもたらされた土器は祭祀に用いられた。前方後円墳の原型は吉備で生まれた。物部氏の文書「先代旧事本紀」には物部氏がヤマトの祭祀を整えたと述べ、事実、天皇家は物部氏の祭祀を踏襲している。物部氏の祖であるニヒハヤヒノミコトはどこから来たのか日本書紀は語らないが、吉備から来たのではないか。
タカクラジ。日本書紀には正体が定かでない。タケミカヅチノカミから霊験・フツノミタマを下賜され、それを神武天皇に献上する。これによって神武天皇はヤマト入りを果たすことができた。「先代旧事本紀」にはニギハヤヒノミコトの子アマノカゴヤマノミコトと同一人物で、尾張氏の祖だとする。但し、日本書紀は尾張氏の祖はニニギノミコトの子の一人、ホアカリノミコトであったとし、食い違っている。尾張氏はヤマトタケルノミコトがもたらしたクサナギノツルギを祀り続けてきている。丹後の籠神社は尾張同族の海部氏が祀る。トヨウケノオオカミや浦島太郎にまつわる伝承とも関係していることになり、尾張氏への興味はつきない。

ハナモモ


2009年4月12日二ヶ領用水にて。

関裕二「日本の神々」がわかる!
オオモノヌシノカミ。神武東征以前、出雲からやってきて、三輪に祀られた。その後、ニヒハヤヒノミコトがいずこからともなくヤマトに舞い下り、土着のナガスネヒコから支配権をもぎ取っている。その後、南九州から神武天皇がやってきて、やっとヤマトが建国されたとする。これは、巻向遺跡や前方後円墳を巡る考古学の指摘に符合する。祟神天皇の治世は思うようにいかず、それはオオモノヌシノカミの意思、祟りのためであった。その後もヤマトの王家は祟る出雲神に苦しめられ、丁重に祀り続けている。