サクラ


2009年4月9日新宿御苑にて。

来週は、天女の羽衣伝説ウルトラマラソン70km。余呉湖を10周するウルトラマラソンのエントリ向けの大会。翌日、元気が残っていれば賤ヶ岳を案内してくれると言う。秀吉と柴田勝家の2ヵ月に及ぶ合戦は、大垣からの50kmを5時間で駆けもどって不意を打った秀吉が勝利した。前田勝家が模様見を決め込んだ山を望めるのだろうか。
天女の羽衣の伝説と言えば、トヨウケノオオカミ。これは丹後の籠神社の周辺に残っている。かぐや姫も羽衣を着て月に帰って行った。トヨウケノオオカミと関係するかもしれない。余呉には、この地の伊香刀美が天女を妻として財をなし、その子孫が伊香連として繁栄した話が残っている。その天女が羽衣を掛けた柳がある。
柳の傍には北野神社があった。道真誕生伝説があり、道真は天女の子だったとする。

サクラ


2009年4月9日新宿御苑にて。

関裕二「日本の神々」がわかる!
アマツヒコホノニニギノミコト。日向の襲の高千穂峰に天降った。アマテラスの子のマサカアカチハヤヒアマノオシホミミノミコトと、タカミムスヒノカミの子のタクハタチヂヒメノミコトとの間の子。兄は尾張の祖アメノホアカリノミコト。日向の可愛の山陵に葬られた。
サルタヒコノオオカミ。国ツ神でありながらニニギノミコトを導いた後、アメノウズメノミコトと共に伊勢に向かった。太陽神だったかもしれない。
アメノウズメノミコト。天の岩戸神話で活躍した。日本の歌舞音曲の始祖猿女氏の祖神。
コノハナサクヤヒメ。オオヤマツミノカミの娘。吾田の長屋の笠沙の岬でニニギと結ばれる。ホデリ・ホスセリ・ホオリの三柱の子を産んだ。ホオリが山幸彦ヒコホホデミノミコト。
ヒコホホデミノミコト。塩土老翁に導かれてワタツミの宮に行き、トヨタマヒメを娶る。3年して帰国、追ってきたトヨタマヒメの産んだ子がウガヤフキアエズノミコト。
トヨタマヒメ。その妹タマヨリヒメはウガヤフキアエズノミコトとの間にカムヤマトイワレヒコ(神武天皇)をもうける。

カロライナジャスミン


2009年4月6日武蔵野市にて。

関裕二「日本の神々」がわかる!
アメノコヤネノミコト。中臣氏の祖神。日本書紀によると、アマテラスオオミカミが岩戸から出てきたところで、忌部神とともに注連縄を引いて堺とした。天孫降臨に随伴している。太占の卜事をもって仕えている。しかし、藤原氏が祀る春日大社で最も重視する神はタケミカヅチノカミとフツヌシノカミである。中臣氏の地盤である河内の枚岡神社もタケミカヅチノカミとフツヌシノカミとアメノコヤネノミコトを祀っているが、元はアメノコヤネノミコトが祀られていた。先代旧事本紀には、物部氏と強く結びついていて、ニギハヤヒがヤマトに舞い下りてきた時に従ってきたと言う。中臣鎌足は百済の王子ホウショウと見る。中臣とまず結び、後に物部の神を祭り上げたのだろう。

サクラのトンネル


2009年4月6日武蔵野市にて。

関裕二「日本の神々」がわかる!
フツヌシノカミ。タケミカズチノカミ(刀剣)を添えて最後に出雲に差し向けられた神。オオクニヌシノカミから、コトシロヌシノカミに聞くように言わせ、国譲りを成功させる。フツヌシノカミは香取神宮に、タケミカズチノカミは鹿島神宮に鎮座する。神武東征のおり、タケミカズチノカミはフツノミタマを神武に下す。これは石上神宮の主祭神で物部氏とかかわりが深い。物部氏の祖神はニギハヤヒノミコトで、神武の前に大和に天降り統治していた。
コトシロヌシノカミ。国譲りの際、美保の崎で鳥の遊びをしていた。神武はその娘、ヒメタタライスズヒメノミコトを娶って正妃としている。その子は第二代綏靖天皇もコトシロヌシの娘イスズヨリヒメを皇后に立てた。第三代安寧天皇もその子で、コトシロヌシの血を引くヌナソコナカヒメノミコトを皇后に立てた。壬申の乱の際にはコトシロヌシノカミは天武天皇を助けたとされる。
タケミナカタノカミ。日本書紀には出てこない。諏訪大社の祭神で、出雲の国譲りの際、最後まで抵抗して諏訪まで逃げたとされる。諏訪氏はタケミナカタノカミの末裔を自称している。
ヌナカワヒメ。ヒスイの女神。日本書紀には登場しない。先代旧事本紀にはタケミナカタノカミはオオクニヌシとヌナカワヒメの間の子とある。ヒスイは海神がもらたす神宝と考えられており、トヨタマヒメ、トヨヒメ、トヨウケノオオカミなど、と関係が深い。神功皇后も、塩の満ち引きを操る如意玉を海神からもらいうけている。山幸彦もトヨタマヒメから同様の玉を譲り受けた。蘇我氏はヒスイとかかわりを持っており、用明天皇はタチバナノトヨヒノスメラミコト、推古天皇はトヨミケカシキヤヒメ、聖徳太子はトヨトミミ、蘇我蝦夷はトヨウラノオオキミと、トヨに関係した名前が並ぶ。飛鳥は蘇我の土地で、天武天皇も壬申の乱の戦勝後、都を近江から飛鳥に戻している。

サクラ


2009年4月6日武蔵野市にて。

関裕二「日本の神々」がわかる!
シタテルヒメ。日本書紀の名でアジスキタカイコネノカミの妹。古事記ではタカヒメノミコトで、オオクニヌシノカミとタキリビメノミコトの間の兄妹になる。物部系の文書「先代旧事本紀」には兄は言代主神だったと記されている。古事記にはアカルヒメノカミが難波のヒメコソ神社に祀られたと言い、それはシタテルヒメ神社とも称されていた。飛鳥坐神社の祭神の中にシタテルヒメが含まれている。
カヤナルミノミコト。日本書紀や古事記には登場しない。出雲国造神賀詩に、オオモノヌシ、アジスキタカヒコネノカミ、コトシロヌシノカミ、とともに登場し、それぞれが三輪、葛城、雲梯、飛鳥に鎮座すると言う。崇神天皇の時代、伽耶から来日したアメノヒボコはヒメコソを追ってきた。そのヒメコソは難波に祀られ、アカルヒメノカミやシタテルヒメと混同されている。カヤナルミノミコトを含め、本来この4者は同一かもしれない。 

ヤマブキ


2009年4月3日井の頭公園。

関裕二「日本の神々」がわかる!
スサノオノミコト。出雲に降臨し、国ツ神を助けてヤマタノオロチを退治し、須賀に宮を建ててクシナダヒメとの間にオオナムチノカミをもうけて根の国に去った。新羅出身かもしれない。鉄の利権と関係しているだけかもしれない。
オオナムチノカミ。多くの名を持つことは聖徳太子に似ている。因幡の白ウサギの話は日本書紀にはない。
タカミムスビノミコト。ニニギノミコトの母方の祖父にあたる。藤原不比等の役割を与えられて創造されたのかもしれない。持統天皇の孫の文武天皇に娘の宮子をあてがい、その子、聖武天皇にも娘の光明子を嫁がせている。
アメノホヒノミコト。出雲国造家の祖神。タカミムスビノミコトは出雲を孫に支配させるため、アメノホヒノミコトを使わしたが、オオクニヌシノミコトに媚びて復命しなかった。出雲の国譲りの後、出雲を支配するとともにオオクニヌシノミコトを祀る役目を負った。出雲国造は新任のたびに都に上り、出雲の神々が恭順の意を示していること、大和の守り神となって鎮座することを報告する。「火継ぎ」をするのは、天皇家が「日継ぎ」をするのに似ている。
アメワカヒコ。タカミムスビノミコトに出雲に使わされたが、オオクニヌシノミコトの娘の下照姫を娶り住み着いてしまった。新嘗祭の催事を執り行っている時に、タカミムスビノカミの矢にあたって落命する。シタテルヒメの兄のアジスキタカヒコネノカミとアメワカヒコは親族が間違えるほどそっくりだった。タケノウチノスクネに真根子と言う良く似た者がいてタケノウチノスクネの代わりに自害した話と似ている。

スズランスイセン


2009年3月21日神田川沿いにて。

関裕二「日本の神々」がわかる!
アメノミナカヌシノミコト。古事記にはあるが、日本書紀には一書にあるだけ。日本書紀の最初の神はクニノトコタチノミコトで古事記では2番目の神になる。物部氏が編纂に携わった先代旧事本紀にはさらに前にもう一柱が登場する。
イザナギノミコト、イザナミノミコト。日本書紀の第七代目の神にあたる。
アマテラスオオミカミ。日本書紀では当初オオヒルメノムチの名で登場する。これは「大日巫女」なので、太陽神を祀る巫女だったことになる。しかし、大神神社の周辺には大物主の神と伊勢の神は同一だと言う伝承がある。謡曲「三輪」は大物主の神が女装していると言い、伊勢と三輪の神は一体分身だと述べている。
トヨウケノオオカミ。伊勢の外宮に祭られている。日本書紀では無視されている。丹後の国の天の羽衣伝承の主人公でもあり、祟る女神として語られる。伊勢には、アマテラスオオミカミが独り身で寂しがったので、丹後から勧請された。丹後の籠神社には、トヨウケノオオカミが籠に乗って(太陽のように)輝いていた、鳥の巫女であったとする伝承が残されている。かぐや姫は籠の中で育てられ、天の羽衣を着て月に帰って行った。これに通ずる。籠神社周辺には浦島伝承も残されている。良く似た海幸山幸神話の中にはトヨタマヒメが登場する。